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To Close..最高裁の姿勢 2014年07月25日11時10分
裁判員裁判が始まったのは、そもそも、裁判における量刑が少なすぎるという一般市民の感覚と裁判官の感覚の違いを埋めるためだったかと思いますが?

そもそも短いと思っている裁判員が求刑より長い罰を求めるのは当たり前の話だとは思いませんか?

これはたまたまyahooに掲載されている毎日新聞の記事ですが

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140724-00000134-mai-soci

注:yahooやら毎日新聞やらに対する意見ではありません。

あくまで裁判官に対する不平不満です。


裁判は、取りあえず、無罪か有罪かを決めます。
で、有罪の場合、量刑という どのくらいの罰を与えるかを決めます。


例えば、有罪になったとしても、執行猶予が付いたり。量刑が懲役3日(注:こんな短いのはないです)となれば、それは罰に当たるのでしょうか?

無罪を勝ち取れなかったことが、罰ではなく、量刑が罰に当たるわけです。


犯罪が発生し、誰かが死んだり、権利が著しく犯された場合、これは当然重い罰を与えるべきです。

しかし、日本の量刑という制度は、過去の判例に囚われ、もし何らかの結果罰が軽減された人が居ると、その値も考慮されます。

そして、これまでに無い重大な犯罪を犯した人が居た場合も、量刑の基準がないため、以前の量刑よりもちょこっと多め程度になります。

これにより、軽い前例が出来てしまい、


例えば、殺人を犯した人が居たとして

Aさんは一人殺しました。 懲役1年になりました。
Bさんは二人殺しました。 懲役は1.5年になりました。

これを元に Cさんが三人を殺した場合は2年くらいになるでしょうか?。

これを順に10人を殺したJさんが登場するまで順当に増えていけば、
Jさんは懲役7年くらいになったかもしれません。

しかし、CさんからGさんが居なくて一気にJさんが登場した場合どうなるでしょうか?

今まで10人所か5人を殺した人も居ない。

じゃぁ、Jさんの量刑はどうしたら良いのか?
これまでの最長が1.5年だから、2倍の3年とか、そう言ったとても低い値になるかもしれません。


日本は地域のコミュニティがとても発達していた民族で、そういう意味で、重大な事件というのはとても起きにくく、それ故にまれに発生する重大な事件の量刑という物も、罪に対してとても軽い罰しか与えられていません。

にもかかわらず、最近は大量殺人を含む重大な事件が毎年何回も起きるほどに発生件数が増えており、これまでの履歴から量刑を決めるととても軽くなってしまいます。

ですから、履歴に囚われず、重大な問題には、とても重い罰を与える必要があります。

殺人を犯しても、数年で出てこれる日本はとてもおかしいのです。


だから、今後はあらゆる裁判において、過去の例に比べて厳罰化が求められているのにもかかわらず、
「過去の量刑傾向を共通認識として」(上記記事より抜粋)
とかバカなことを言っているわけです。


あれでしょ?
過去に自分たちが出した判例を覆されるのが嫌なんでしょ?

法の番人だとか言われて、いい気になっているんでしょ?


最高裁の頭の硬い連中を全員辞めさせるべきじゃないんですか?
次の衆院選の時、全員に×付けて上げます。

ちなみに上記記事より抜粋の最高裁判決の骨子それぞれに対して意見。

>・裁判員裁判も、他の裁判結果との公平性が保たれた適正なものでなければならない

これまでの量刑が重大な事件を起こした人と、軽い事件を起こした人の間で著しく不公平であり、重大犯罪はこれまで以上の厳罰化が必要である。


>・これまでの傾向を変える量刑判断をする際には、従来の傾向を前提とすべきではない事情を具体的に示すべきだ

量刑の傾向がそもそも不当である、量刑の傾向を重大犯罪の厳罰化へ向けて正すべきである。


>・1審判決には、求刑を大幅に超える量刑の具体的、説得的な根拠が示されておらず、これを是認した2審判決は甚だしく不当である

裁判官の認識が裁判員制度制定の根幹と乖離しており、裁判官自体が量刑制度について新しい考えを持って望む必要がある。
重大犯罪を撲滅するためにも、量刑全体を見直す必要がある。

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