ここ
らへんや
この
あたりでかかれていますが、
AIの処理が重たすぎるので、最適化をしようという話しです。
意味合いは分かります、何から何まで全ての計算をするのは愚の骨頂です。
ですが、AIに求められているのはそういう事じゃ無いと思うのです。
車の自動走行は確かに難しいことではありますが、これをAIと言って良いのでしょうか?
自動処理化や自動運転という項目には、沢山のことを判断しなければならないので、AIを利用するのは分からないでもありません。
しかし、それらはAIのごく一部分の機能でしか無く、それを利用したからと言ってAIを使っているとは言えない。スマートカーはあくまでスマートなだけで、人工知能ではないのです。
ですから、最適化するというのであれば、それは人工知能の考える部分では無く、人工知能の構造その物と言えます。
自動運転に要らない項目をスッキリさせるのです。
でも、AIで処理しなければならないこともあります。
ここで「何故AIを使わなければならないのか?」って事を考えれば、AIの機能は最適化してはいけないのです。
AIの利点は、あらゆる知識の蓄積であり、完全なノイズを除けば、疑わしいような情報も含めて判断材料になるので、試行ルーチンも、知識の蓄積の部分でも、最適化してはいけないのです。
症例データベースの方を考えれば分かります。
たった一件の症例しか無かった情報から、医者が誤診したのをAIは見つけ出したのです。
ほぼ一緒です。医者が誤診したのは職務怠慢ではありません。
ですが、全ての情報を持ったAIはそれが誤診だと判断出来たのです。
AIに求められるのは、人間の補助です。
全ての知識を頭に詰め込むことが出来ない人間のために、AIがそこを補うのです。
AIが誤診の可能性を見つけ出し、それらを考慮して人間が再度判断するのです。
AIは答えのどこに問題が有ったのかを医者に教えて貰えば、次からはより精度の高い判断が出来ます。
こうすることで、AIは正しく進化できます。
こうして、出来の悪い研修医に教えるようにあれこれと地道に教え続ければ、いずれAIは完全に人間を超えるでしょう。
それがいいか悪いかは別として・・・
でもそれにより、医者に必要菜知識が随分と減るでしょう。
開業医でも大学医のような高度なことが判断出来るでしょう。
出来ないことは上に流し、出来ることだけをする。
大学病院などの医者も、より最先端の医療を研究する側と、手術などの腕だけを磨く執刀医側に分かれれば、医師の不足もかなり解消されるでしょう。
何せ、器用でさえあれば、普通の人よりちょっと頭がいい程度で執刀医がこなせるわけですからね?
AIにおける人材の最適化でしょうか?
知能も、器用度も、政治力も必要な医師という業界が一変しますよね〜
なので、AIと呼ばれる物、日本語で、人工知能と訳される類の本当の知能は、プルーニングしてはいけないのです。
プルーニングは要らない技術です。